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2022年 4月 2日 文理を越えた学び(東京工業大学理学院)

みなさんこんにちは。播田實です。

 

今回のブログが僕の担当する最後のブログになるので、最後っぽいことを書こうと思ったのですが、あえていつも通りブログを書くのも粋かなということで、普通に書こうと思います。

 

今回のテーマは、文系と理系についてです。主に大学以降の話になりますが、高校生のうちから意識しているとなお良いと思うので、参考にしてください。

 

みなさんは文系/理系と聞いた時に、何をイメージしますか?理系は実験とか大変そう、文系は大学生活キラキラしてそう、などさまざまなイメージがあると思います。このようなイメージで悪質なのは、文系と理系の対立を煽るようなものや、文系は理系に比べて劣っている、といったようなものです。そもそも、文理というものはあくまでも受験やそのレイヤーで運営を円滑にするために分けられているだけであって、本質的には分けるべきでないものです。もちろん、機械工学とフランス文学を同列に語ることがあるのかと言われるとそうでないこともあるんですけどね。なぜ分けるべきでないかというのは、具体例をあげた方がわかりやすいと思うので具体例を紹介します。

 

僕は理系で、宇宙関連の研究(具体的にいうと惑星科学)をしていますが、宇宙と関わる際にも、文系の知見が必要となる場面があります。たとえば、宇宙探査は有人で行うべきかどうか、という問題があります。そもそも、宇宙に物を打ち上げるというのは非常にコストがかかります。人を打ち上げるとなるとさらにコストがかかります。その上、宇宙では宇宙線などの放射線による健康被害も懸念されますし、微小重力下での骨密度低下なども問題とされています。このように、人を宇宙に送るということには倫理的な問題があり、これは科学の視点だけでは答えが出ません(もっと言えば、倫理学の問題は正解など存在しないのでより「マシな答え」を探すことになるんですが)。そういう時に、文系的な知識を持っている人が一人いるだけで、議論がより生産的なものになりますし、より「マシな答え」に近づくことができます。理系の学問とされるものの中にも、文系的な問題があることもあるのです。

 

逆に、文系であっても、理系の知見はあるに越したことはありません。日常生活レベルでは言うまでもありませんが、より専門的に心理学を例にあげようと思います。これも宇宙関係の話になるんですが、宇宙飛行士が帰還後に燃え尽き症候群に陥ることがあり、その割合が他の職よりも高いそうです。理系の知見なしには宇宙という環境での精神状態を十分に議論できず、心理学だけをやってきた人は宇宙進出した人類の心理状態について考える機会を失うことになります。

 

文理を跨いで学ぶということは、自分の選択肢を大きく広げることになります。よく理系は文系就職もできるが文系は文系就職しかできない、と言われることがありますが、文理関係なく学んできた人にとってはそのハードルは大変低くなります。もちろん、理系の学位や資格が必要な場合もあるのでハードルがなくなるわけではないので、そこには注意が必要です。

 

結局、僕が言いたかったのは、文系とか理系とか関係なく学ぶことは、分野によっては必要とされつつあり、自分の視野も選択肢も広げられるということです。

 

ぜひ文理選択や、文系と理系についての問題を考える際の参考にしてください。

 

 

以上、読んでくださりありがとうございました!